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詩人 ゲーテの若き日々

青年時代のゲーテ(1765-1768年頃)

 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ( Johann Wolfgang von Goethe )(以下、ゲーテと表記)は1749年8月28日、ドイツのフランクフルト・アム・マインにある上流階級の家庭に生まれました。ヨハン・カスパー(父)とエリーザベート(母)の間に長男として誕生したゲーテは幼少期より裕福かつ快濶な生活を送りました。父は教育に関心が強く私立の幼稚園に通っていたゲーテは、読み書き等の初等教育を受けさせられました。その後も家庭教師を家に招きピアノや乗馬、ダンス等の教育も受けさせられ、特に語学に長けていたゲーテは少年時代にして英語、フランス語をはじめとする6つの原語を習得していました。


 16歳のゲーテは1765年から父親の意向でライプツィヒ大学の法学部で学びますが、1768年に病に倒れ故郷フランクフルトへ戻り、その後一年半は自宅で療養しました。1770年、21歳のゲーテは再度勉学に励むためストラスブール大学に入学しました。この地では多くの友人や作家、詩人としての道を成す上での重要な出会いを体験しています。特にヨハン・ゴットフリート・ヘルダーとの出会いは特別だった事でしょう。ゲーテより僅か5歳年長であるヘルダーは一流の文芸評論家として名声もあり、民謡の文学的価値など様々な新しい文学上の視点を教えられたのでした。また同時期にゲーテは友人に連れられ、ストラスブールから30km程離れたゼーゼンハイムという村を訪れます。この村の牧師の娘であるフリーデリーケ・ブリオンとの恋に落ち、その事がきっかけとなり『野ばら』をはじめ『五月の歌』などの抒情詩が生まれたと言われています。しかし翌1771年、束縛される事を嫌ったゲーテはフリーデリーケとの恋愛を断ち切ってしまいました。そして8月、22歳のゲーテは学業を終えてフランクフルトへ戻りました。その後、弁護士の資格を取り弁護士事務所を設立しますが仕事への興味を失った為か文学活動に専念する様になりました。




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