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『野ばら』の解釈 はじめに


 『野ばら』の詩の解釈は多々ありえますが、男女の出会いの原型を表わしていると読み取ることもできます。檜山哲彦先生に執筆をして頂いた内容と重複しますが、「少年」と「野ばら」のやりとりはまさに男女の出会いの原型と言えるでしょう。男の子が気になる女の子に"ちょっかい"を出すと女の子はそれに抵抗します。しかしその女の子もまんざら気がない訳ではなく、その抵抗する様子がまた魅力となって男の子に伝わるのです。

 作曲家も読者や聴衆の一人ですから、この『野ばら』の詩を読んだ際にはそれぞれ異なった解釈をしたでしょう。たとえば、詩の内容をポジティブに捉える作曲家もいればネガティブに捉える作曲家もいた筈です。実際に93曲が「長調」(明るいメロディー)で7曲が「単調」(暗いメロディー)です。もちろんこれは一例に過ぎませんが、この例を筆頭に94人の作曲家達は異なる解釈をし『野ばら』の詩を感じたままに作曲し表現しているのです。それぞれの作曲家がどの様な事を感じたのかを論じたとしてもそれは想像の域を脱しませんが、その様な事を考えながら楽曲に向かっているとなんだか作曲家と対話をしている様な気がしてなりません。『野ばら』という詩に対して、又その詩に付随した『野ばら』という楽曲に対して様々な解釈の可能性が残されている事は何よりの魅力ではないでしょうか。だからこそ、小生を含む聴衆は様々な解釈を考え想像し楽しむ事が出来るのです。

 さて、小生が考える5つの解釈を記載しました。個人的な解釈の一つに過ぎませんのであくまでも参考程度とお考え下さい。むしろこれらの観念にとらわれず様々な解釈を生み出して頂ければ幸いです。そしてその解釈を是非、僕にも教えて下さい。




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